沿革・理事長ロマンを語る

理事長挨拶

私がそもそも福祉に関わるようになったのは平成15年の6月でした。
6名のお母さんと一緒に知的障害者親の会『エリア21』を結成しました。
当初の活動方針に授産施設建設の旗を揚げました。活動実績も会員も運営資金もあらゆるものがない、まさしくゼロからのスタートでした。今思うと何と無謀なことだったのでしょうか。
当時は支援費制度が導入され、舵が大きく取られた時期でした。
”声出せ!お母さん!”のキャッチフレーズのもと、町内の知的障害者の保護者へ呼びかけました。
「どうして、地元に授産施設がないのか。」そのために子供たちが町外の施設を利用しなければなりません。通所に2時間もかかるのです。また、「どうして施設は地域と隔離された山の中にあるのか。」
「地域の方と交流出来る施設が出来ないのか。」そんな疑問をそのまま語りました。
私は福祉の専門家でもなく、知的障害の娘をもつ普通の会社員です。このようにして会社以外の時間をエリアの活動に使う、変則な生活が始まりました。
『エリア21』とは21世紀の地域福祉という意味です。変った名前が良いのかなと思って命名しましたが、最初はいかがわしい団体と思われたかもしれません。
平成16年3月に施設建設の準備委員会を結成。準備を進めるにつれ、多くの支援者からご指導とご協力を、そしてパワーを頂きました。
「こんな小さな組織でも施設が出来るんだ。」日が追うごとに、夢が一つ一つ現実味を帯びてきました。
準備からわずか3年でこの偉業が達成されました。これは奇跡的な出来事でした。
「やれば出来る。」この気持ちが多く方々の心を動かしたのです。
こうして、平成19年4月に障害福祉サービス事業 多機能型事業所『エリア21』は生まれました。就労支援、就労継続B型の多機能型事業所としてのスタートでしたが運営は大変でした。
さらに障害者自立支援法は、私たちのような創設の施設に大きな試練を与えました。
開所してから2年が経ちましたが、この間、私たちは多くの困難を乗り越えてきました。
しかしいかなる状況下でも私達は常に”前進”しなければなりません。
親亡き後、障害者が自立して生活できる基盤をつくらなければなりません。
夢は叶えられます。地域福祉の具現化を目指し、これからも活動していく所存です。
今後もよろしくお願い申し上げます。

平成21年4月
社会福祉法人 時津町手をつなぐ育成会
理事長 山内 俊一


エリア21誕生の軌跡

平成19年4月1日に開所以来今春で5年となる。この節目を向かえ、前へ進むことに 没頭した活動の日々を、時計を戻してその歩みを検証し、この機会に皆さんへ知って頂きたいと思う。  

育成会の歴史は平成15年の6月に町内の知的障害者のお母さん6名が集まり、何か活動をしませんかとの呼びかけからのスタートであった。お互いの面識も余り無く唯一知的障害者の親というのが共通点であった。

私の係りもここから始まる。当時は支援費制度が施行され福祉制度が暗雲の中を進む船の様に左右に動揺していた。同年7月、声出せお母さん!のキャッチフレーズのもとに 野田郷ふれあい館に20名余りのお母さんたちが集まった。授産施設の建設の必要性を 語った。いきなり唐突な話だったが『時津町知的障害者親の会エリア21』はここから動き出す。会の名称の由来は、21世紀の地域福祉を意味する。話せば長くなるが、茂里町のハートセンターの図書室で私の熱い話を聞いてくれたT女史から頂いた地域福祉論である。長崎県の障害計画が発表された時でもあった。平成20年までの施設関係の数値目標があった。其れによると圏域8ブロックに別れ長崎県域で授産施設の枠が1つであった。

施設建設へ手を上げるラストチャンス、後にも先にもこのタイミングしかなかった。 よく言われる事に最初は作業所、小規模授産施設、授産施設と進むのが普通である。授産施設までは10年,15年の長い道程が必要だと。周囲の認識はこうであった。確かに常識的にはそうかもしれない。しかし、それでは建設の枠が無くなってしまう。この判断は、近年議論されている施設解体論、福祉への資金確保、支援費制度から障害者自立支援法、障害者総合支援法(仮称)へと福祉行政の遍歴からその困難さを垣間見ることが出来る。その判断は間違ってなかったと確信する。

平成16年4月、『時津町手をつなぐ親の会』と『時津町知的障害者親の会エリア21』が合併し『時津町手をつなぐ育成会』と改称し新にスタートした。同時に授産施設準備委員会を立ち上げた。当初は町内有識者と育成会との合同で準備委員会を構成した。某建設会社の社長などが参加され随分と思惑が違った。又、建設地の選定では町への相談も含め、町内の身体障害者、精神障害者団体との検討も行った。時津町障害者福祉団体連合会はこうした流れの中で結成された。三障害団体との統一行動、行政の壁は厚くて高かった。

結局、土地は会員のT氏から譲与の話があった。混迷する中に希望の光があたった。 これを期に施設建設の流れが加速された。国庫補助金での建設は、県の審査を経て国の審査へと進む。福祉予算の面から言っても県で1つ予算化されるかどうかの難問であった。 実績も資金も無い僅か20名の会の挑戦であった。その頂はエベレストより遥かに高い天空へと続いていた。

建設資金については会員から寄付金2000万円が集まった。僅か20名近くの会員で このような高額な資金が寄せられた。しかも短期間に。一軒一軒お伺いしたが、其々皆さんの熱き思いが結集された。

エリア21が建つ時津町西時津郷は農村地域と新興住宅とに二分される。施設建設に あたっては地域住民のご理解が不可欠である。地道にお一人お一人にご説明をした。 勿論、最初は皆さんが全て賛成ではなくこの場所での建設は大方のご意見では難しかろうとの声が多かった。以前も同様の福祉施設建設の話があったが、地域の反対で頓挫したと近隣の皆さんが口々に言われた。

建設予定地は農地だった。農業委員会から農地移転の審議の壁が大きく圧し掛かる。年に2回しか開催されない審査会にタイミングを合わせ無かればならない。粘り強い交渉が求められた。農地以外での用途は認められないと強く言われた。

育成会は町内の福祉団体に於いては後進国であった。合併して一緒にやりましょうと言っても相手にされなかった。その理由として、実績が無い。エリア21の得体が分からない等散々であった。こうした逆境の中で準備を進めなければならなかった。一方、育成会内に於いてはどうであったろうか。会員に聞いた訳ではないが大半の方は半信半疑,いや授産施設が出来るとは当初は誰も思ってはいなかったろう。準備委員会設置から開所まで3年、早かったですねと良く聞かれる。凝縮されたこの期間、言葉に尽くせない壮絶な、それは天を見上げると霞んでは見え隠れする頂に向かって歩くのではなく駆け上がった感じがする。平成18年8月25日,国より内示が出た。当日、町農業委員会へ駆け込んだ。

正式通知が出るのをご無理を言って待って頂いた。県農政局は休み2日を挟んで29日に 町農業委員会事務局長にご足労頂いた。1週間後の9月7日、法人の認可が出る。通常だと一ヶ月かかる所を三好県議にご尽力を頂いた。福祉医療機構との調整、地元自治体への挨拶、所有権の移転、学校挨拶回り、理事会、評議員会を経て10月23日入札、11月 11日起工式、3月25日の完工まで時計の針が何倍ものスピードで進んで行った。

こうした中、利用者の募集、職員の面接、運営資金の確保等、数え切れない幾多の事案を解決して行った。この間、準備に携わった会員の皆様はじめ多くの方のお力とご指導を頂き平成19年4月1日、エリア21は希望と夢を乗せて、新たな海原へ向かって船出した。時津町に授産施設を作りましょう。準備から3年でエリア21は完成した。全くの0からのスタートで建設まで僅か3年で出来たのは恐らく全国でも類が無いと思われる。

開所から5年を迎えた今日、この節目にあたって今日があるのは、この事業に参画された方々の弛まない努力と目標に向かって常に前進し続けた強い精神力がこの偉業に結びついた。私は今万感の思いでご尽力された皆様へ心より感謝申し上げます。敢えて軌跡と言わなかったのは、正しくエリア21の誕生は奇跡と言っても過言ではないからです。 さあ、新たな目標へ向けて。

平成24年4月2日
社会福祉法人 時津町手をつなぐ育成会
理事長 山内 俊一


エリア21再スタートにあたって

平成19年4月に開所して6年が過ぎました。平成24年4月にはグループ・ケアホーム “ドリーム”が開所しました。エリア21は増改築工事を終えて平成25年4月1日より 新たにスタート致しました。B型就労継続の定員24名を10名増員し34名とし、 就労移行定員6名と合わせて定員40名となりました。支援員も7名体制となりより充実した支援を目指して行きます。

今回の増改築工事にあたっては、2月19日に建設許可がおり、当初の予定より1か月遅れの着工となり、浄化槽の追加工事を含めての超短工期の工事となりました。宅配弁当・ レストラン及び幼稚園への給食提供も遅れ、顧客の皆様には大変ご迷惑をお掛けしました。

利用者の皆さんには工事の期間中、騒音・振動など非常に作業環境が悪い中、大変ご迷惑をお掛けしました。保護者の皆様にも給食が休止の間、弁当作りに大変だったかと思います。支援員及びスタッフの皆さんにも多大なご苦労をお掛けしました。

工事は何とか年度内に完工することが出来ました。4月8日から弁当事業が,翌9日からレストランが通常営業となります。

工事にあたっては関係の皆様に多大なるご尽力を頂きました。3月27日に県の完了検査を受けましたが、完成に至らず厳しいご指摘を受けました。最終検査を29日に受ける事になりました。残された時間は後1日しかありませんでした。

内装の仕上げ、機器の取り付け・調整、電気工事、塗装、清掃など各職人さんが血眼になって作業にあたりました。階段の床貼りに食事もとらず黙々と作業されていた職人さんの背中が今でも思い出されます。やっと貼り終えた時は、もう日付が変わっていました。この時ようやくなんとか行けると確証しました。そして、日匠建築設計の山口さん、大進建設の有村さんと3人で夜空を見上げると真丸いお月さんが私達を照らしていました。

昨年の11月に交付決定を受け5か月間、通常だと何の問題もなく完工し終える予定でしたが、着工が1か月遅れると様相が大きく変わってそれはまさしく戦場でした。工事存続の危機にも何度も直面しました。眠られぬ日々が続きました。しかし、どんな逆境の時でも常に前進しなければならない。当法人の基本理念に立ち返って、最後まで諦めないで前に進んだ結果が今日に繋がったと確信する次第です。

こうして完成出来たのも皆様のお蔭です。日匠建築設計、大進建設、下請け企業16社 の職人さん、何度も振興局にご足労頂きました三好県議をはじめ関係の皆様へ深く感謝申し上げます。今後更に皆様のご期待に応えるべく新たなエリア21を構築していく所存です。

平成25年4月1日
社会福祉法人 時津町手をつなぐ育成会
理事長 山内 俊一


組織とは、これからの育成会活動について

会を立ち上げて10年、通所施設エリア21を開所して6年、グループホーム・ケアホームを開所して1年、そして今年はエリア21の増改築。育成会の事業が拡大し日々の雑務も含め相変わらず愛用の手帳が休まる時はありません。

最近少し気になる事がありました。研修部のおしゃべり会等自由且つ奔放に話されそれはそれで良いのだが、何故か理事長を心配してくれて、施設見学会に来てなかった。草刈り、芋指し、保護者会に顔が出てない。挨拶がないとの声が。つい先日もそうだった。性格的に気にしないで黙っている訳に行かず。つい熱くなってしまった。自分たちが汗をかいて頑張っているのに何故挨拶の一つもないのか。同じ保護者の立場やろうがと。おっしゃる通りである。最近、こうした機会に参加できてない小生の不徳の致す所であります。

会社現役の時代は毎日17時に退社してからの活動。睡眠時間を3時間に削っての日々が何年か続いた。有給休暇も全部使い休暇用紙が足らなくなった。会社の上司、同僚に随分と助けられた。家族にも随分と辛い思いをさせた。家を空ける事が多くなった。知的障害のある次女がその度にお父さんどこに行くのと心配顔で聞く。不安定になり家内のストレスを増長させた。こんな生活が10年続いた。

どうして分かってもらえないのかなとの思いは、皆さんへは伝わってないのが良くわかった。理事長だけが頑張っていると言わないでくれ、一人の会じゃない。みんなの会だから自分達も頑張っている。おっしゃる通りです。小生の驕りがあったのだろう。誰からも擁護されてないのかと落胆していた所、一方で10年間の実績に自信をもってこれからも頑張って下さいと多くの方から激励を頂きました。組織のトップに立つ者、色んな意見に耳を傾け謙虚にならねばと改めて思い知らされました。

これからの育成会はどうあるべきなのか。その方向性を示さなければなりません。常日頃、地域福祉の具現化の為に@訓練をする場所“エリア21”A生活をする場所“ドリーム”B働く場所“ハッピー”この3つが揃って、ここ時津町に知的障害者の基盤が確立されると申し上げて来ました。この事が如何なのか改めて皆さんのご意見を拝聴したいと思う次第です。みんなの育成会です。皆さんのお一人お一人の手で具現化の為に育成会の力を発揮して頂く様お願い申し上げます。

微力ながら小生も社会福祉法人の理事長としての職務に専念し新たな目標に向けてのお力になればと思う所存です。

平成25年6月26日
社会福祉法人 時津町手をつなぐ育成会
理事長 山内 俊一


開所10周年そして新たな挑戦へ

エリア21を平成19年4月に開所しました。波乱万丈のスタートでした。10年の節目に あたり一言述べさせていただきます。

運営にあたっては地域に開かれた施設運営を目指し、施設内にレストラン『さきの』を 併設し、その利益を利用者の工賃へフィドバックする付加価値の高い授産事業を展開 してきました。お蔭様で平成28年10月には3万食を達成し、町内外のお客様からも温かい ご支援をいただき、連日盛況の人気店となりました。
又、平成28年度の長崎県衛生優良店を受賞しました。これは平成25年度から4年連続の快挙でもあります。

宅配弁当事業、グリーン&グリーンの造園事業とレストラン事業の主力3事業が中心と なり、利用者工賃も県平均の15000円/月レベルとなりました。
自立支援法の下で法人を創設し移行期間も激変緩和の恩恵も受けずに厳しい経営状況の中、職員が其々の持ち場で必至に頑張ってくれた事に心から感謝致します。

同時に地域の方々はじめ多くの関係機関の皆様のご支援ご鞭撻に対し厚く感謝申し上げます。
本年4月より時津町より崎野自然公園の指定管理者に認定され平成34年3月までの5年間、 公園の維持管理をはじめ各種イベント等を企画し、「自然と地域と人が交流出来る場を 目指し、社会福祉法人の使命の一つとして地域に貢献していきたい」と思います。
法人の理念の通り、常に前進していく所存です。これからも宜しくお願い申し上げます。

平成29年5月19日
社会福祉法人 時津町手をつなぐ育成会
理事長 山内 俊一


法人設立10周年記念式典挨拶

法人設立10周年の記念式典にご案内しました所、大変お忙しい中に時津町長はじめ多くのご来賓のご臨席をいただき誠に有難うございます。 遠くは島原、諫早、大村、長崎、西海市からもご臨席をいただきました。有難うございます。

平成15年の6月に6人のお母さんと『知的障害者親の会エリア21』を結成し、翌年の平成16年4月に時津町知的障害者親の会と合併し、時津町手をつなぐ育成会と改名しました。手をつなぐ親の会は昭和53年3月に県内で30番目に結成された知的障害者の親の会です。ここから数えますと今年で39年となります。施設建設を旗印に活動し準備委員会を立上げ、平成19年4月に『多機能型事業所エリア21』を開所しました。この間、本日ご臨席いただきました皆様には其々のお立場で多大なるご指導とご鞭撻を賜りました。ここに厚く感謝申し上げます。

こうして10周年の記念式典を迎える事ができたのも皆様のお蔭であります。又、本日所用でご臨席をいただけませんでした多くの関係者の皆様にも感謝申し上げます。

建設にあたっては、地域住民の同意、設計、資金計画、利用者の確保、税理士、職員配置等々膨大な申請書を作成する中、一つ一つの案件を前に進めてきました。法人設立10年の今日、地域に開かれた施設を目指し、施設内にレストラン『さきの』を併設し、宅配弁当事業、造園事業「グリーン・グリーン」、グループホーム・ケアホーム『ドリーム』、エリア21増改築、エリアの丘改造・駐車場の整備をし、本年4月からは時津町崎野自然公園指定管理者として取組んでいる所です。

親亡き後、障害がある者も地域で自立して生活していく基盤を作って行かなければなりません。そう言う意味に置きましては西そのぎ商工会に障害者の雇用窓口が設置されたのは画期的な事だと思っています。又、本日ご臨席の吉田町長は、非常に福祉に関心をもって頂いており崎野自然公園に於いても将来、障害者の雇用の場として取組んでほしいとご指導を頂いている所です。

高齢化社会の波は時津町にもやってまいります。町民総活躍プロジェクト推進会議では、町づくりにあらゆる視点から議論を重ねられ、障害者に於いても住みよい町になって行くと確信している所です。とは言え、障害者を取り巻く環境はまだまだ厳しいものがあります。私達は如何なる状況にあっても、子供達の未来の為、常に前進し続けなければなりません。これからも皆様のご指導・ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。ご来賓の皆様、本日はご多忙の中誠に有難うございました。又、議員の皆様は投票日前日のご多忙の中にご臨席頂きまして大変有難うございました。結びに、本日ご臨席頂きました皆様のご多幸を祈念いたしまして御礼のご挨拶といたします。

平成29年10月21日
社会福祉法人 時津町手をつなぐ育成会
理事長 山内 俊一