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エリア21誕生の奇跡

平成19年4月1日に開所以来今春で5年となる。この節目を向かえ、前へ進むことに 没頭した活動の日々を、時計を戻してその歩みを検証し、この機会に皆さんへ知って頂きたいと思う。  

育成会の歴史は平成15年の6月に町内の知的障害者のお母さん6名が集まり、何か活動をしませんかとの呼びかけからのスタートであった。お互いの面識も余り無く唯一知的障害者の親というのが共通点であった。

私の係りもここから始まる。当時は支援費制度が施行され福祉制度が暗雲の中を進む船の様に左右に動揺していた。同年7月、声出せお母さん!のキャッチフレーズのもとに 野田郷ふれあい館に20名余りのお母さんたちが集まった。授産施設の建設の必要性を 語った。いきなり唐突な話だったが『時津町知的障害者親の会エリア21』はここから動き出す。会の名称の由来は、21世紀の地域福祉を意味する。話せば長くなるが、茂里町のハートセンターの図書室で私の熱い話を聞いてくれたT女史から頂いた地域福祉論である。長崎県の障害計画が発表された時でもあった。平成20年までの施設関係の数値目標があった。其れによると圏域8ブロックに別れ長崎県域で授産施設の枠が1つであった。

施設建設へ手を上げるラストチャンス、後にも先にもこのタイミングしかなかった。 よく言われる事に最初は作業所、小規模授産施設、授産施設と進むのが普通である。授産施設までは10年,15年の長い道程が必要だと。周囲の認識はこうであった。確かに常識的にはそうかもしれない。しかし、それでは建設の枠が無くなってしまう。この判断は、近年議論されている施設解体論、福祉への資金確保、支援費制度から障害者自立支援法、障害者総合支援法(仮称)へと福祉行政の遍歴からその困難さを垣間見ることが出来る。その判断は間違ってなかったと確信する。

平成16年4月、『時津町手をつなぐ親の会』と『時津町知的障害者親の会エリア21』が合併し『時津町手をつなぐ育成会』と改称し新にスタートした。同時に授産施設準備委員会を立ち上げた。当初は町内有識者と育成会との合同で準備委員会を構成した。某建設会社の社長などが参加され随分と思惑が違った。又、建設地の選定では町への相談も含め、町内の身体障害者、精神障害者団体との検討も行った。時津町障害者福祉団体連合会はこうした流れの中で結成された。三障害団体との統一行動、行政の壁は厚くて高かった。

結局、土地は会員のT氏から譲与の話があった。混迷する中に希望の光があたった。 これを期に施設建設の流れが加速された。国庫補助金での建設は、県の審査を経て国の審査へと進む。福祉予算の面から言っても県で1つ予算化されるかどうかの難問であった。 実績も資金も無い僅か20名の会の挑戦であった。その頂はエベレストより遥かに高い天空へと続いていた。

建設資金については会員から寄付金2000万円が集まった。僅か20名近くの会員で このような高額な資金が寄せられた。しかも短期間に。一軒一軒お伺いしたが、其々皆さんの熱き思いが結集された。

エリア21が建つ時津町西時津郷は農村地域と新興住宅とに二分される。施設建設に あたっては地域住民のご理解が不可欠である。地道にお一人お一人にご説明をした。 勿論、最初は皆さんが全て賛成ではなくこの場所での建設は大方のご意見では難しかろうとの声が多かった。以前も同様の福祉施設建設の話があったが、地域の反対で頓挫したと近隣の皆さんが口々に言われた。

建設予定地は農地だった。農業委員会から農地移転の審議の壁が大きく圧し掛かる。年に2回しか開催されない審査会にタイミングを合わせ無かればならない。粘り強い交渉が求められた。農地以外での用途は認められないと強く言われた。

育成会は町内の福祉団体に於いては後進国であった。合併して一緒にやりましょうと言っても相手にされなかった。その理由として、実績が無い。エリア21の得体が分からない等散々であった。こうした逆境の中で準備を進めなければならなかった。一方、育成会内に於いてはどうであったろうか。会員に聞いた訳ではないが大半の方は半信半疑,いや授産施設が出来るとは当初は誰も思ってはいなかったろう。準備委員会設置から開所まで3年、早かったですねと良く聞かれる。凝縮されたこの期間、言葉に尽くせない壮絶な、それは天を見上げると霞んでは見え隠れする頂に向かって歩くのではなく駆け上がった感じがする。平成18年8月25日,国より内示が出た。当日、町農業委員会へ駆け込んだ。

正式通知が出るのをご無理を言って待って頂いた。県農政局は休み2日を挟んで29日に 町農業委員会事務局長にご足労頂いた。1週間後の9月7日、法人の認可が出る。通常だと一ヶ月かかる所を三好県議にご尽力を頂いた。福祉医療機構との調整、地元自治体への挨拶、所有権の移転、学校挨拶回り、理事会、評議員会を経て10月23日入札、11月 11日起工式、3月25日の完工まで時計の針が何倍ものスピードで進んで行った。

こうした中、利用者の募集、職員の面接、運営資金の確保等、数え切れない幾多の事案を解決して行った。この間、準備に携わった会員の皆様はじめ多くの方のお力とご指導を頂き平成19年4月1日、エリア21は希望と夢を乗せて、新たな海原へ向かって船出した。時津町に授産施設を作りましょう。準備から3年でエリア21は完成した。全くの0からのスタートで建設まで僅か3年で出来たのは恐らく全国でも類が無いと思われる。

開所から5年を迎えた今日、この節目にあたって今日があるのは、この事業に参画された方々の弛まない努力と目標に向かって常に前進し続けた強い精神力がこの偉業に結びついた。私は今万感の思いでご尽力された皆様へ心より感謝申し上げます。敢えて軌跡と言わなかったのは、正しくエリア21の誕生は奇跡と言っても過言ではないからです。 さあ、新たな目標へ向けて。

平成24年4月2日
社会福祉法人 時津町手をつなぐ育成会
理事長 山内 俊一